非武装を考える(31号 2005年10月)

先日、次女と食事をしていて軍備が話題に上ったときのこと。最近の人は憲法9条のことなどあまり考慮にないと思っていた私は驚きました。彼女は非武装論者だと言うのです。さらに毅然と言います。「武装してなくて攻撃されて殺されるなら、私は死ぬ!その覚悟はしている」 軍備のあるほうが、戦争に巻き込まれ易い。彼女はそう判断しています。

日本国憲法は次のように謳っていますが、この理想を遵守するには「死ぬ」ほどの覚悟が必要なのかもしれません。

(前文抜粋)日本国民は、恒久の平和を念願し、(中略)平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

(第9条第1項)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

日本国憲法は、第2次大戦戦勝国の戦後世界戦略の影響下に作られましたが、この憲法は、人類が幾多の戦禍を潜り(くぐり)抜け、漸く(ようやく)にして辿りついた理想を示しています。また、沖縄や広島・長崎、そして世界中の悲惨な戦争犠牲者にとって、「非戦」は叫ばずにおれない渇望にも似た悲願だと思います。

しかし、単に日本が軍備をしなければ平和が護られるというものではないでしょうし、軍備さえあれば国が護られるという考えも短絡的だと思います。

いっそのこと、いずれの交戦国にも組みしない中立を宣言し、軍隊は保有しないが、国民遍く(あまねく)軍事訓練を受け、いざ侵略を受けたときは徹底して抵抗する準備のあることを内外に示す。また、平和外交に徹し、軍事費相当額を世界平和のために拠出する。そこまで徹底する必要があるかもしれません。

いずれにせよ、本当に非武装・非戦を望むなら、自分がなすべきこと、覚悟すべきことを受け止める必要があります。このことは軍備論者についても同様で、「他人任せ」の姿勢で平和を軍隊に任せることはできません。自分自身の行動と覚悟が問われます。

(所長 林 光行)

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