「何故?」(第16号 1997年4月)

「何故?」。大阪弁では「ナンデ?」です。

子供達が小さかった頃、よく「ねェ、ナンデ?」と聞かれて閉口したことがあります。人類は「何故?」を発し解決することにより、発明・発見を積み重ね、現在の社会を築いてきました。哲学も科学も「何故?」があればこそだと思います。

しかし、「何故?」とハサミは使いよう(?)。

私はこの言葉を非常に多く使います。心の中で呟いていることもあれば、大声で「ナンデ!?」と言うこともあります。でも殆どの場合、真面目に物事の原因を問うている訳ではありません。

例えばこんな具合です。受験前の子供がダラダラしているとき「ナンデお前はそんなことしてんねん…」。部下が指示通りに動いてくれないとき「ナンデお前判れへんねん…」。女房が思ったように対応してくれないとき「20年も連れ添うてて、ナンデそんなんやねん…」。挙句の果ては、気持ちの良いゴルフに行こうと思った日に雨が降っていると「ナンデ今日、雨やねん…」。

恥ずかしい限りです。私は目の前にある現実を受け入れるのがイヤなときに、「ナンデ!」と言っているのです。不快感を表したり、相手を非難したり、あるいは単に、自分が不愉快な原因を確認するためにこの言葉を使うことが多いのです。

このことに気付いてから「ナンデ」という言葉を使うと「今何故『ナンデ』と言ったのかな」と自問するようになりました。そうすると「ア、そうか。私はこんな状態が欲しかったのだ」「だとすると、どうしたら良いのかな」と考えるようになりました。

最近ではこう思っています。

事物の本質を理解するために「何故?」と問うのは大いに結構だ。しかし、そうでないときに「何故(Why)?」と言うのはやめよう。「どうしたら(How to)?」と考えよう。自分の望む状態を得るには、どうしたら良いのか。私にできることは一体何だろう? その解決策を出すために必要な「何故?」は、また素晴らしい。

(所長 林 光行)

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